弾けた赤い実

自分のための日記みたいなもの

ありがとう

大好きなアイドルが、自身のアイドル人生にフィナーレを迎え、メディアからいなくなって早数ヶ月。


渋谷すばるが帰ってきた。


最初に目に飛び込んできたのは誰かのツイートと8文字のタイトル。



渋谷すばるです。」



全く信じられなくて、初めは悪質な悪戯かと思った。本当に本人なんだって理解すると、今度は自分が夢を見ているのかと思った。

私にとって都合が良すぎるこの現実を受け止めきれなかった一番の理由は、こんなにも早く帰ってきてくれるなんて思ってもいなかったから。

十年でも二十年でも、というか当たり前に死ぬまで待つつもりだった。

むしろ帰ってきてくれないんじゃないかとさえ思っていた。


思えば最初から私は予防線を張っていて。

帰って来なくていい。戻って来なくていい。

生きていてくれたら、世界の片隅で笑っていて、音を楽しんでいてくれたらそれだけで充分だって。

もちろんそれも本心だったけれど。


わたしはあの頃、多くのeighterと同様に「関ジャニ∞というグループはずっと7人でやっていくものだ」と心から信じきっていて。永遠を当たり前に夢見ていて。

それが自分のエゴと願望でしかなかったことを、会見の映像を見て初めて思い知った。


私は、オタクの自分勝手な妄想や感情を自軍や自担に押し付けるようなことを、他人も自分もするべきじゃないと思っているような、そういうオタクだったのに。


でも。だからこそ、

私はずっと自分勝手に待っているけど、

それは私の勝手な行動で一方的な愛情でしかないから、

彼には彼の人生を豊かに幸せに生きて欲しい、と改めて思うきっかけになった。


だから表舞台には帰って来なくてもいいんだよって、無理には帰還を望まないよって心から思っていたし、夢を見すぎないように意識していた。


けれどそれだって、言ってしまえば私の勝手な言い分だった。


渋谷すばるという人は、自分のファンを誰よりもよく理解していて、自分のファンに照れるぐらいまっすぐな愛情をストレートに注いでくれる人だと、私は知っていたのに。

決して彼は自分のファンをポイ捨てしていなくなってしまうような人じゃなかったのに、

会見の日以降とても臆病になってしまっていた私は、そんな初歩的なことすら頭から抜け落ちていたのだ。



それはとても粋で、シンプルかつ真っ直ぐで、何よりも彼らしい最高のサプライズだった。


彼は変わらない温もりと笑顔を私達に届けてくれた。

飾り気のない無駄を削ぎ落としたようなデザインも、「愛してます。渋谷すばる」の文字の羅列も、楽しそうなニコニコの笑顔も、音を集める姿も、大好きな関西弁も。

なに一つ変わってなくて、渋谷すばるそのままで。


ああ好きだなあって噛み締めた。



それから改めて、

「渋谷のファンは重度の奴が多い」と言って笑って言っていた彼は、

「生存確認」ができるだけで私たちがどれほど安心するか、満たされるか、救われるかを、本当によくわかってくれてるんだなということも思い知った。



彼がアイドルを辞めて、表舞台からいなくなったあの日から、昨日で235日だったらしい。(どなたかのツイートから拝見しました)


235日って月で考えたらどれくらいなんだろう?と思ったら、7ヶ月。


7月から7ヶ月後の木曜日に、8文字のタイトルを投稿してくれる。

全部偶然かもしれないし、狙ったのかもしれないし、どっちでも愛おしいなと思う。

渋谷すばるさんのアイドル人生はあまりにも奇跡で溢れていたんだから、必然的に起こった奇跡なのかもしれない、とも思う。


先日、勇気を出して、友人宅でグレイテストの円盤を見せて貰った。

その時は三時間ずっと涙をダバダバに垂れ流して、ああ6人になった関ジャニ∞を見ることは私にはできないんだなって悲しくなったし、心の中で私の青春だったエイトにさよならをして、自分の中で一区切りをつけたタイミングだった。


でも、今なら泣かずに見れるかもしれない、なんて清々しい心地で思う。


6人の関ジャニ∞のことも、きっといつか純粋に好きになれるんじゃないかと思う。


彼がいなくなって胸にぽっかりと空いた穴は、彼にしか埋めることができないんだと嘆いた時期もあったけれど、

すばるさんは本当にあっという間に埋めてしまった。

彼がいなくなって一度は色も音も光も消え去った私の世界は、魔法みたいに一瞬で色づいて、音で溢れて、輝き始めた。


一度は止まってしまった時計の針は、大好きなひとの手で再び動き始めた。


2019年2月28日。

大好きなアイドルがまっさらな個人として帰ってきた日。

私にとって一生忘れられない記念日になった。



本当にありがとう。渋谷すばるが心から大好き。

愛してる!