弾けた赤い実

自分のための日記みたいなもの

生き進め


不特定多数の他人に向けて言葉を綴ることは、元来あまり得意じゃないです。


だからこそブログにはこれまで手を出さなかったけれど、あくまで自分の感情の整理のために『誰かに向けたていで言葉にすること』は結構楽になる手法だから、今回筆を取りました。



初めてのブログだし、ただの一ヲタクによる毒にも薬にもならない独白で、それ以上でも以下でもないので合わないと思った方は即座にブラウザバックを推奨します。


私は関ジャニ∞が大好きで渋谷すばるさんが大好きでした。

自分がすばるさんの名付けてくれたeighterであることも、す担であることも誇りに思っていました。


そんなわたしがあの会見以降、自分の中でぐるぐるぐるぐる考えて、考えて考えて。

自担(すばるさんは「自担」って言葉を嫌がるけど、便宜上)が本当にいなくなるんだと理解した頃から、どこか冷静に「eighterを辞めなければ」と思っている私がいました。


形式や名称は何かと便利です。わかりやすくて。

それがなくなるってことは色々な柵から自由になることでもあるけど、自身の立ち位置が不透明になることでもあります。


会見以降、6人のエイトとの向き合い方、付き合い方がわかりませんでした。

渋谷すばるを愛し愛される、彼の大事な友達で家族。


関ジャニ∞を託されたのに、6人のことは変わらず好きなはずなのに、eighterの中に私の居場所はないみたいに思えました。

ただ、こころが置いてけぼりでした。

わたしは数ヶ月、己の感情に囚われることになりました。出口の見えないトンネルを歩いているみたいでした。



7人全員が好きだからeighterだったはずなのに、わたしはすばるさんしか見ていなかったのか?

自担が抜けたからハイさよならなんて薄情にも程がある。あんまりだ。彼らに失礼だ。

でも余力や惰性で応援出来るような人達じゃないし、その方が不誠実だ。やるなら全力で応援したい。



いろんな言葉を自分自身に投げかけました。

自分の半端を許せない難儀な性格なので、自己嫌悪が止まりませんでした。自分と沢山相談しました。



6人の彼らを目の当たりにすることは世界一好きな彼が世界一好きな集団からいなくなったことを目の当たりにすることと同義で、なかなか今の彼らを見るまでに踏み切れませんでした。


でもそのせいで、6人になった彼らを今後も好きでいられるのか、それすらもずっと判断がつかない状態でした。

だって7人の関ジャニ∞に出逢ったわたしにとって、好きになった人達は当たり前に7人だったから。
わたしの最愛の人がそこにいないから。


そういうあれこれを考えると同時に、ぼろぼろのこころに向き合うことも必要で、それを癒すことも必要で。

だって前に進むことは人生において必要不可欠で。


わたしがいくら立ち止まって駄々をこねても、時間は進んでいく。とうにすばるさんも関ジャニ∞も前に向かって歩み始めている。


わたしも前に進みたい。

そのためにはエイトに対する『プラスの感情』が必要でした。

ただ関ジャニ∞から逃げるんじゃ駄目なんです、それだと前に進んだことにはならないから。

そうこうしている間に、GR8ESTオーラスの日がやって来ました。

今回のツアーで初めての参戦。

私にとって最初で最後のGR8ESTで、多分本当に最後になる『eighterのす担として』の参戦でした。


ご縁があって去年もオーラスに入ることができたんですが、すごく幸せな、わたしのこれまでの人生で一番幸せな日でした。

当たり前にすばるさんはそこにいて、笑ってて、純粋に楽しいだけのライブ。7人のライブ。


今年のわたしは、去年とは心持ちが違いました。

例年ライブ前は楽しみで仕方がなかったのに、わくわくが止まらなくて世界がキラキラして見えるあの感覚が、今年はどうしても感じられなかった。


自担がいない初めてのライブ。

もう前に進んでいる6人の関ジャニ∞

6人についていこうと決めたeighter達。


そんな中に、す担として、eighter人生の最後を迎えるため、自分の中で不完全燃焼だったことを消化するため、前に進むため、6人の彼らを受け入れられるのか確かめるため、eighterを続けるか決めるため。

そんな自分勝手な理由達を胸に真っ赤な参戦服に身を包んで会場に行くのは、正直動機が不純だと思ったし会場に向かう道中押し潰されそうでした。もっと純粋な気持ちで彼らに会いたいひとは山ほどいるだろうに。

好奇の目に晒されてもいつもなら高揚感に包まれているわたしのメンタルは鋼だったはずなのに、今年は見た目こそ強気とはいえ(髪に赤色を入れ、手足の爪も服も靴も赤、唇も真っ赤、 極め付けにジャム魂のツアバとかいう服装でした。もはや意地でした)こころは全くの平常心だったので…。本当にいたたまれなかったです地元の駅とか…。


ドームに着いてもどこか冷めていて、全くドキドキしなくて。すごくフラットな気持ちでした。

6人の関ジャニ∞を前に自分が何を思うのか、何も想像がつきませんでした。

そんな私の心臓がやっと狂い始めた(ライブ前の激しい動悸はむしろ正常の証です)のはうっかり当ててしまった自名義の座席が判明した時。



アリーナBブロック。



流石に平静ではいられなくなりました。

応援できるのかとかほざいてましたがわたしはエイト全員大好きなeighterの端くれで、彼らを間近に見ることができることになってドキドキしないわけもありませんでした。というか自名義でアリーナを当てたこと自体初めてだったので困惑八割でした。

アリーナは当時の友人が当ててくれた人生初のエイトのライブ(正真正銘、生まれて初めて経験したライブ)以来でした。


でも同時にそんな皮肉あるかよ〜とも思いました。過去最高の良席を当てたのに世界で一番好きな人はそこにいない。無欲の勝利とはこのことです。


それでも座席についてからは震えが止まりませんでした。

過去参戦したライブでも、件のアリーナでの参戦とコカコーラシートでの参戦の際は震えが止まらなくなった経験があるので、恐らくわたしは良席という超弩級の幸運に身体が耐えられないタイプなんでしょう。


今回当てたのはメンステも花道もびっくりするほど近い四連でした。全部肉眼で捉えられてしまう。野鳥の必要性が無い。心臓が痛かった。

友人3名はお前が当てたんだからと花道側を譲ろうとしてきましたが、みんなは自担に会えるんだから!と押し切ってわたしが花道から一番離れた席に座りました。と言っても計4人なのでそこまで差はない気もします。

せっかく間近で自担を拝めるなら出来ればファンサだって欲しいはずで、友人達が幸せならそれが良いと思いました。

世界で一番好きな人にわたしは会えないから。みんなは心置き無く幸せになってくれ。


そしてライブが始まりました。

それはそれは楽しいライブでした。勿論わたしにとっては楽しいだけじゃなくて、何度か誰も泣いてないのにわけわかんないタイミングで勝手に涙がこぼれたり、それ以外にも流さないように堪えつつ幾度も目頭が熱くなったりしましたが。涙流しちゃっても誰にもバレないように無言で拭ってたので大丈夫です(何が)

ライブ中ずっと(うわ〜〜村上担になりそう…、うわ〜〜丸山担になりそう…、うわ〜〜安田担になりそう…)なんてずっと思ってました。不動の一番がいなくても、変わらずみんなのことは好きなままでした。


しかし本当にわかりませんでした、自分がなんで泣いているのか。

「笑って泣いて最後にまた笑おう」ってオモイダマで歌いますけど、エンターテイメントへのリアクションとして本当に笑って泣いたのは初めての経験でした。

悲しいのか嬉しいのか。ひょっとすると両方かもしれないです。


札幌ではまだ彼の面影があったらしいとちょくちょく見かけたGR8EST、福岡公演ともなるとみんな仕上がっていて、6人でしっかり成立する6人によるライブになっていました。

ヤスも、万全ではなくとも自分の身体との折り合いがついていたり二ヶ月前よりは幾分か具合が良くなっていたり、そういった部分があったのかなと思います。今出来うる限りのパフォーマンスをしてくれたように感じました。

渋谷すばるが彼らの中にいないことが悲しくて、ライブを6人で成立させられるまで頑張りきった関ジャニ∞の底力が嬉しくて、どうにかここまで来れた安田章大に安心して。いろんな理由で、いろんな涙が出たのかもしれないです。

ここまで多種多様な感情をいっぺんに味わわされることはなかなか無いんじゃなかろうか。


あと、思ったよりも赤色が多用されていた気がして嬉しかったです。ぱっと思い出せるところだと、ヤスのギターとかまるちゃんの衣装とかトロッコとか。

意味が込められていても大した理由がなくても良いんです。自分の中で赤色が特別だから嬉しいんです。

ペンラの点滅の中に赤が入っているのもそう。



わたしは彼らが大好きだから、肯定的な感情が沢山湧いたGR8ESTですが、同時に別のことも考えていました。


それは「足りない」という感覚。

人数じゃないです。歌唱力でもない。

勿論歌唱力の面ですばるさんが抜きん出ていたのは事実でしょう。なんたってソロデビューを果たしたメインボーカルですから。


でもわたしがその時に思ったのは人数でも歌唱力でもなく『熱量』でした。


これは否定でも批評でもないです。

悪く受け取られるだろうと予想はつきます。でも違います。6人は全力でした。それはもう熱くてアツいライブでした。全員が精一杯力の限りを尽くして歌っていました。


すばるさんは(ここ数年アイドルを満喫していたけれど)いろんな意味でアイドルらしからぬアイドルでした。

振る舞いも、歌い方も、音楽にかける情熱も。本人が反骨精神の塊みたいな天邪鬼な人だったこともあるでしょう。

でもそれ以上に、歌で、音楽で、生きていきたいと願った人です。それほど音を大事にして愛している人です。


その熱量をライブにも全力で注いでいたのを知っています。

いつだって音の匂いを嗅ぎつけて、音に乗っかって、音になってどこまでも飛べる彼を、わたしは知ってしまっています。


6人全員分の全力を受けてもまだわたしが『足りない』と感じてしまったのは、大きな瞳にギラギラした熱を宿したすばるさんが、自分の中にある力すべてを爆発させて魂を揺さぶる咆哮みたいに吼えていた熱量の、濃厚でぐらぐら沸いて煮え滾るような灼熱のエネルギーの凄まじさを知ってしまっているから。

彼の生歌で空気がビリビリ震える振動をこの身を持って体感してきたから。


これは比べるものじゃないです。

彼が“そう”だっただけで、容易に真似られるものでもないし、きっと6人はそんなことを考えもしないと思います。

6人は6人自身の魅力で勝負していくことが最善だとわかっているだろうし、エネルギー集合体みたいなところが渋谷すばるという男の魅力のひとつだったことも、私なんかよりよっぽどわかっているでしょう。


わたしもそれが分かっているから6人に「彼のようになれ!」なんて的はずれな要求は出来ません。

ただわかったのは、ここまで素晴らしいライブを目の当たりにして、力一杯笑って泣いてこころから満足した上で『足りない』と感じてしまうわたしは、6人の彼らの顧客層からとっくに外れてるんだろうってことでした。


満足した上で自分の立ち位置が理解できたんだから、これ以上ないくらいに『プラス』でしょう?

7人の関ジャニ∞の亡霊になりかけていたわたしは、6人の関ジャニ∞によって浄化されて、燻っていたいろんな感情を昇華されて、残ったのは関ジャニ∞渋谷すばるさんも大好きだって感情だけでした。

義務感からじゃなく、純粋な実感として「終わらせる」ことができたんだから幸せ者だと思います。


寂寥感や喪失感によってずたずたのぼろぼろになっていたわたしのこころは、いつの間にかある程度癒えていました。


だから今後はeighterを名乗りこそしないけど、ファンクラブの更新もしないけど、

わたしは6人の関ジャニ∞もきっとずっと大好きだし、渋谷すばるさんのことが世界で一番大好きなままです。


イフオアは予約してます。ひなちゃんの10年間が詰まった円盤。

わたしがeighterだった頃の村上信五さんが詰まってるんだから、なんの気兼ねもなく買います、関ジャニ∞のオタクとして。純粋に観たいですし。


そして、もう一度6人の関ジャニ∞を好きになったとしたら、その時はまたeighterになりたいと思います。

未来なんて誰にもわからないけど、わたしはすばるさんの“福音”を気長に待ちながら、7人の関ジャニ∞が与えてくれた夢のような日々を胸に、誰でもない“わたし”を生きていこうと思います。

わたしが関ジャニ∞に捧げた数年間は誰にも奪えない大切な財産です。



ありがとう関ジャニ∞!大好き!