2018を生き抜いた話
大好きな人がアイドルをやめた。
大好きなグループを去って、テレビの中からいなくなった。
これは言葉にすると簡単なことなのかもしれない。
それでもわたしは、そのたった一つの事柄で、自分の半身を引きちぎられるような途轍もない痛みを覚えた。心の真ん中に、きっと彼にしか埋めることのできない穴が生まれた。
きっと意地悪な神様がわたしの運命にこんな理不尽と不条理を組み込んだんだとさえ思ったし、その神様と運命を呪った。
あの頃のわたしは心から本気でそう思いこまないと、とてもじゃないが生きられなかった。
会見の映像を初めて見た時、何かを理解するとか疑問を抱くとかよりも先に、なによりも最初に「死のう」と思った。それがとても自然なことのように胸の内にすとんと落ちて、理解や疑問や感情が追いついてきたのはそれからだった。
それと同時に頭の中に飛び込んできたのが『生きろ』という曲。渋谷すばるという一人のアイドルがこの世界に産み落としてくれた、大切で愛おしい関ジャニ∞の曲。わたしの宝物の一つだった。そのときに、
ああ、死ねないんだ、と思って。
わたしの大好きな人は、それを許してくれないんだって。生きろって背中を押すんだって。
勿論こんな言い方をするとお前に自我はないのかなんて感じるけれどそういうことではなく。
「誰でもない貴方を生きて」ってファンを応援してくれる人を好きになった私は、その思いを、彼が歌に込めた願いを、無下にする選択なんてできるはずもなかった。
勿論わたしの本能が何を叫ぼうと、きっと私は何か理由をつけて死なない道を選ぶんだろうし、人はそう簡単に死ねたりしない。命を軽く思っている訳でもない。
ただ、あの日一瞬のうちにわたしの中で駆け巡った自問自答が行き着いた先はそこだった。
数ヶ月後、彼はアイドルを卒業した。
数々の番組でフィナーレを見せて貰って、わたしの大好きな人は本当に多くの人から愛されているんだと改めてわかったし、
テレビの世界やアイドルの世界は、こんなにも愛おしくてあたたかい一面を持っているところなんだと教わった。
わたしはあの期間、渋谷すばるという人が見せてくれたものから片時も目を離さなかった。
別れは辛くて悲しかったけれど、自分が選んだ唯ひとりの男がこんなにも多くの人から愛されている事実が誇らしかった。嬉しかった。
関ジャニ∞はeighterが納得するまでの材料と時間を充分すぎるほど用意してくれたから、納得だってきちんとできたと思う。
それからはずっと自分自身と話し合う時間だった。
同時に自分を癒す期間でもあった。
わたしの中で渋谷すばるを失うなんてことは本気で考えてもみなかったことで、
だけどそのことで弱音は絶対に吐きたくなかった。
彼が生涯“嫌いだったはずのアイドル”という存在でいてくれることを望んでいたわたしの想いは、単なるエゴだったから。
当然それは自覚していたし、「渋谷すばるが関ジャニ∞を家族だと言って愛していること、関ジャニ∞内で必要とされてメンバーみんなから愛されていること」にわたしは安心もしていた。私は恵まれた環境に胡座をかいていた。
本当に音楽を全力でやるためにはアイドルという職業が枷でしかないだろうこともわかっていたけれど、それでも不利な立場から音楽のプロ達を唸らせる実力を持つ渋谷すばるが好きだったし、彼が関ジャニ∞から離れられるはずもないと狂信に近い形で思い込んでいた。
いつの間にかすばるさんの時計の針は進んでいたのに、その可能性を考えることもしなかった。
そんなわたしの思い込みが彼自身の手によって覆され、壊されて初めて、わたしは自分が驕っていたんだと思い知った。
よこひなに「あなたたちがいないと僕は生きていけない、一生面倒を見て」とまで言っていた彼が、大切な『家族』の側を離れて一人で生きていけるまでに大きく強くなっていたこと。
メンバーの歌声や演奏を心から愛し続けた彼が、関ジャニ∞を手放してまで『音楽』に人生を捧げる道を選んだこと。
それはわたしにとって青天の霹靂以外の何でもなかった。
きっと、アイドルが生き地獄のように感じられたはずの彼がそれでもジャニーズを辞めなかった理由は複数ある中で重なり合っていて、妙子さんの「続けることが大事」という言葉然り、それ以外にも多くの要素があったんじゃないかと思う。
でも、最大の理由は、多くのeighterが考えていたように「関ジャニ∞という友達であり幼馴染であり戦友であり家族」という大切な居場所が居心地良かったからだろうと思っていた。今でもそう思っている。
彼にとっての輝かしくて長い青春こそが関ジャニ∞で、それを敢えて手放してまで茨の道を選ぶなんて、とてもじゃないが考えられなかった。
彼の心が美しくて綺麗で、そのぶん繊細で弱いことを、みんな知っていたし理解していた。
けれど、彼は一人の男として成長していて、今を全力で生きていて、いつも前を向いていて。
わたしが好きになった渋谷すばるという男はそんな人間だと充分すぎるほど理解していたのに、彼がいなくなることを考えもしなかったなんて、今考えるとなんだか滑稽だ。
それでも永遠を信じさせてくれた彼はやっぱりスーパーアイドルだったんだなぁなんて思う。
スーパーアイドルの渋谷すばるは、トップアイドルの関ジャニ∞は、
本当にギリギリまでわたしに永遠を夢見させてくれた。
あれ以来、世界から全ての音が消えた。
熱も色も匂いも、確かに存在していた心を震わせるもの全てが脆く儚く砕け散った。
残ったのは燃え滓と、確かに与えられた愛情と、魂に深く刻まれた「自分は渋谷すばるが大好きだ」という事実。
本当に、冗談でも比喩でもなく、あれ以来わたしは抜け殻になった。
日常生活をまともに送れる程度に落ち着くまではただただ時間を要した。
情緒が落ち着いてきて、一見まともに日常生活を送れるようになったかもしれないという段階に至っても、
心はまだずっと痛くて、とめどなく溢れ出てくる喪失感と寂寥感に打ちのめされながら、
心配してくれる友達には元気になった振りでヘラヘラ笑って、どこか気を遣っている様子の家族にはなんともないように振る舞って。考え始めたら悲しくなって泣いてしまうから、自軍のことをほとんど考えないようにして退屈な日常を淡々と過ごした。
わたしの中で彼が占めていた部分はあまりにも大きすぎたから、比例して心の中にできた穴はとてつもなく大きかった。
渋谷すばるの代わりになり得るものなんてこの世に存在しないとわかっていても、どうしても胸にぽっかりできた穴を埋めたくて、
「一人」や「一つ」で埋められないなら山のように積み上げればいいんじゃないかなんて考えもした。
もともと彼に出会う前から好きだったものにどんどん手を出して、好きな人達が催すものに行ってみたり、好きな人のライブに行ったり、本当に色んなことをした。
その最中は、胸の痛みを忘れることができたように思う。好きなものや人で満たされる感覚は衰えていなかったし、とても楽しかった。
それでも毎回、一瞬で現実に引き戻されてしまった。そもそも与えられる熱量が渋谷すばるとは比べ物にならなかった。
あんなにも深く熱くわたしを惹きつけて離さない人は、あんなにも熱狂的なまでにわたしを夢中にさせる人は、この世界で彼以外にはいなかった。他にいないから、唯一無二だから好きになったんだと思い知るばかりだった。
結局わたしの世界が再び色づくことも、音が明瞭に鳴り響くことも、灼熱の温度に燃え上がることもなくて。確かに五感は変わらず機能しているのに、味も匂いもよくわからなくて。
無色透明で無味無臭なつまらない世界をこれから生きていくしかないんだなぁと痛感するばかりで。
何をしても何かに好意を寄せても、満たされることはなくて。
ああ、渋谷すばるという人がいない世界で生きることってこんなにもつまらないんだ、なんてことを思い知った。
劇的に世界が色づいて、私は今生きているんだと強く感じることができたのは、11月19日〜21日、横山担と初めて行った大阪旅行の時。
いつか京セラのオーラスに行こう、なんて二人で夢見た友人と、(わたしだけ)人生で初めて大阪の地を踏んだ。
夢にまで見た大阪は、本当に楽しかった。
関ジャニ∞の軌跡、渋谷すばるの軌跡を覗き見ているようなワクワク感。
eighterを歓迎してくれる関ジャニ∞のホーム。
あたたかくて賑やかな大阪の人達。
関テレに行ったら、4ヶ月ぶりの自担がそこにいて。
ああ、大好きな人の顔を見れるってこんなにも幸福で満たされることだった、なんて凄く久しぶりに自分の心が震えるのを感じた。
ああ、わたしは今ここで生きているんだ!
人生はこんなにも楽しくて素晴らしくて心躍るものだった!って、本当に久しぶりに思った。
たぶん私の世界に色や熱や匂いが戻ってきたのはあの旅行から。
あれから劇的に世界が色づき始めて、心から笑えることも増えた。
寂しいのは変わらないし胸の穴も開いたままだけど、それまでみたいな息がしづらい感じや未来が暗く閉ざされた感覚はなくなって、わたしの中で色んなものがガラリと変わった。
関ジャニ∞の曲を前みたいにワクワクする気持ちで聴けるようになったのは本当に最近。
6人になった関ジャニ∞をテレビで見ても、未だに少しの違和感こそあれ、すごく悲しむこともなくなった。FC会員へのメールを見て泣きそうになることもなくなった。
「ここに」を時たま口遊むようにもなった。
以上が今年7月以降のわたし。
抽象的な表現ばかりだし、自分でもポエミーで寒いとさえ思う言葉選びだけれど、わたしにとって渋谷すばるという一人のスーパーアイドルがテレビやラジオや雑誌といったメディアからその姿を消したことは、本当に凄く大きな出来事だった。
簡単に言い表すことなんてできないから、陳腐な言葉じゃきっと全て伝わらないから、心を砕いて言葉を尽くした結果、抽象的な表現に行き着くんだと思う。
素直な言葉やクサい台詞がとても苦手そうなすばるさんが詞に閉じ込める綺麗な言葉たちも、なんとなくそれと似ている気がする。
普通に言うのは照れくさくても、わたしが文字にしたら平気だったりするように、
渋谷すばるというひとは曲に乗せることで素直になれる人なんだろう。
本当に、たくさん素直な言葉で教えてくれたことがあった。
詞だけじゃなくて歌い方で伝わったこともたくさんあったし、もちろん意思表示や自己開示だけじゃなく、歌うことそのものが彼の生き様だとわかっている。
音の世界が全てで、それが自分の生きる道だと、一切ブレずに主張してきたのを知っている。
誰よりも音を楽しむ才能があると知っている。
だからわたしは、心が癒えて冷静に物事が見れるようになった今、夢見ることができるのだ。
アイドルグループのメインボーカルじゃなく、一人のシンガーとなった渋谷すばるはどんな歌を届けてくれるだろう。
この国に舞い戻った彼はどれだけかっこよくなっているんだろう。
それを見るまでは生きなきゃいけない。
わたしも彼に恥じないくらい全力で、未来に向かって突き進まなきゃいけない。
人生で一番死なないために生きた年。
渋谷すばるという一人の美しいアイドルが“永遠”になった年。
わたしは成人したし、年号は来年変わる。自分にとっても日本にとっても色々な節目になった、この恐ろしく一瞬で過ぎ去った2018年を懸命に生き抜いたことに、自分で自分に花マルをあげたいなと思った。