弾けた赤い実

自分のための日記みたいなもの

ありがとう

大好きなアイドルが、自身のアイドル人生にフィナーレを迎え、メディアからいなくなって早数ヶ月。


渋谷すばるが帰ってきた。


最初に目に飛び込んできたのは誰かのツイートと8文字のタイトル。



渋谷すばるです。」



全く信じられなくて、初めは悪質な悪戯かと思った。本当に本人なんだって理解すると、今度は自分が夢を見ているのかと思った。

私にとって都合が良すぎるこの現実を受け止めきれなかった一番の理由は、こんなにも早く帰ってきてくれるなんて思ってもいなかったから。

十年でも二十年でも、というか当たり前に死ぬまで待つつもりだった。

むしろ帰ってきてくれないんじゃないかとさえ思っていた。


思えば最初から私は予防線を張っていて。

帰って来なくていい。戻って来なくていい。

生きていてくれたら、世界の片隅で笑っていて、音を楽しんでいてくれたらそれだけで充分だって。

もちろんそれも本心だったけれど。


わたしはあの頃、多くのeighterと同様に「関ジャニ∞というグループはずっと7人でやっていくものだ」と心から信じきっていて。永遠を当たり前に夢見ていて。

それが自分のエゴと願望でしかなかったことを、会見の映像を見て初めて思い知った。


私は、オタクの自分勝手な妄想や感情を自軍や自担に押し付けるようなことを、他人も自分もするべきじゃないと思っているような、そういうオタクだったのに。


でも。だからこそ、

私はずっと自分勝手に待っているけど、

それは私の勝手な行動で一方的な愛情でしかないから、

彼には彼の人生を豊かに幸せに生きて欲しい、と改めて思うきっかけになった。


だから表舞台には帰って来なくてもいいんだよって、無理には帰還を望まないよって心から思っていたし、夢を見すぎないように意識していた。


けれどそれだって、言ってしまえば私の勝手な言い分だった。


渋谷すばるという人は、自分のファンを誰よりもよく理解していて、自分のファンに照れるぐらいまっすぐな愛情をストレートに注いでくれる人だと、私は知っていたのに。

決して彼は自分のファンをポイ捨てしていなくなってしまうような人じゃなかったのに、

会見の日以降とても臆病になってしまっていた私は、そんな初歩的なことすら頭から抜け落ちていたのだ。



それはとても粋で、シンプルかつ真っ直ぐで、何よりも彼らしい最高のサプライズだった。


彼は変わらない温もりと笑顔を私達に届けてくれた。

飾り気のない無駄を削ぎ落としたようなデザインも、「愛してます。渋谷すばる」の文字の羅列も、楽しそうなニコニコの笑顔も、音を集める姿も、大好きな関西弁も。

なに一つ変わってなくて、渋谷すばるそのままで。


ああ好きだなあって噛み締めた。



それから改めて、

「渋谷のファンは重度の奴が多い」と言って笑って言っていた彼は、

「生存確認」ができるだけで私たちがどれほど安心するか、満たされるか、救われるかを、本当によくわかってくれてるんだなということも思い知った。



彼がアイドルを辞めて、表舞台からいなくなったあの日から、昨日で235日だったらしい。(どなたかのツイートから拝見しました)


235日って月で考えたらどれくらいなんだろう?と思ったら、7ヶ月。


7月から7ヶ月後の木曜日に、8文字のタイトルを投稿してくれる。

全部偶然かもしれないし、狙ったのかもしれないし、どっちでも愛おしいなと思う。

渋谷すばるさんのアイドル人生はあまりにも奇跡で溢れていたんだから、必然的に起こった奇跡なのかもしれない、とも思う。


先日、勇気を出して、友人宅でグレイテストの円盤を見せて貰った。

その時は三時間ずっと涙をダバダバに垂れ流して、ああ6人になった関ジャニ∞を見ることは私にはできないんだなって悲しくなったし、心の中で私の青春だったエイトにさよならをして、自分の中で一区切りをつけたタイミングだった。


でも、今なら泣かずに見れるかもしれない、なんて清々しい心地で思う。


6人の関ジャニ∞のことも、きっといつか純粋に好きになれるんじゃないかと思う。


彼がいなくなって胸にぽっかりと空いた穴は、彼にしか埋めることができないんだと嘆いた時期もあったけれど、

すばるさんは本当にあっという間に埋めてしまった。

彼がいなくなって一度は色も音も光も消え去った私の世界は、魔法みたいに一瞬で色づいて、音で溢れて、輝き始めた。


一度は止まってしまった時計の針は、大好きなひとの手で再び動き始めた。


2019年2月28日。

大好きなアイドルがまっさらな個人として帰ってきた日。

私にとって一生忘れられない記念日になった。



本当にありがとう。渋谷すばるが心から大好き。

愛してる!


2018を生き抜いた話

大好きな人がアイドルをやめた。

大好きなグループを去って、テレビの中からいなくなった。


これは言葉にすると簡単なことなのかもしれない。


それでもわたしは、そのたった一つの事柄で、自分の半身を引きちぎられるような途轍もない痛みを覚えた。心の真ん中に、きっと彼にしか埋めることのできない穴が生まれた。


きっと意地悪な神様がわたしの運命にこんな理不尽と不条理を組み込んだんだとさえ思ったし、その神様と運命を呪った。

あの頃のわたしは心から本気でそう思いこまないと、とてもじゃないが生きられなかった。



会見の映像を初めて見た時、何かを理解するとか疑問を抱くとかよりも先に、なによりも最初に「死のう」と思った。それがとても自然なことのように胸の内にすとんと落ちて、理解や疑問や感情が追いついてきたのはそれからだった。

それと同時に頭の中に飛び込んできたのが『生きろ』という曲。渋谷すばるという一人のアイドルがこの世界に産み落としてくれた、大切で愛おしい関ジャニ∞の曲。わたしの宝物の一つだった。そのときに、


ああ、死ねないんだ、と思って。


わたしの大好きな人は、それを許してくれないんだって。生きろって背中を押すんだって。

勿論こんな言い方をするとお前に自我はないのかなんて感じるけれどそういうことではなく。

「誰でもない貴方を生きて」ってファンを応援してくれる人を好きになった私は、その思いを、彼が歌に込めた願いを、無下にする選択なんてできるはずもなかった。


勿論わたしの本能が何を叫ぼうと、きっと私は何か理由をつけて死なない道を選ぶんだろうし、人はそう簡単に死ねたりしない。命を軽く思っている訳でもない。

ただ、あの日一瞬のうちにわたしの中で駆け巡った自問自答が行き着いた先はそこだった。



数ヶ月後、彼はアイドルを卒業した。

数々の番組でフィナーレを見せて貰って、わたしの大好きな人は本当に多くの人から愛されているんだと改めてわかったし、

テレビの世界やアイドルの世界は、こんなにも愛おしくてあたたかい一面を持っているところなんだと教わった。

わたしはあの期間、渋谷すばるという人が見せてくれたものから片時も目を離さなかった。

別れは辛くて悲しかったけれど、自分が選んだ唯ひとりの男がこんなにも多くの人から愛されている事実が誇らしかった。嬉しかった。

関ジャニ∞はeighterが納得するまでの材料と時間を充分すぎるほど用意してくれたから、納得だってきちんとできたと思う。



それからはずっと自分自身と話し合う時間だった。

同時に自分を癒す期間でもあった。


わたしの中で渋谷すばるを失うなんてことは本気で考えてもみなかったことで、

だけどそのことで弱音は絶対に吐きたくなかった。


彼が生涯“嫌いだったはずのアイドル”という存在でいてくれることを望んでいたわたしの想いは、単なるエゴだったから。

当然それは自覚していたし、「渋谷すばる関ジャニ∞を家族だと言って愛していること、関ジャニ∞内で必要とされてメンバーみんなから愛されていること」にわたしは安心もしていた。私は恵まれた環境に胡座をかいていた。


本当に音楽を全力でやるためにはアイドルという職業が枷でしかないだろうこともわかっていたけれど、それでも不利な立場から音楽のプロ達を唸らせる実力を持つ渋谷すばるが好きだったし、彼が関ジャニ∞から離れられるはずもないと狂信に近い形で思い込んでいた。

いつの間にかすばるさんの時計の針は進んでいたのに、その可能性を考えることもしなかった。


そんなわたしの思い込みが彼自身の手によって覆され、壊されて初めて、わたしは自分が驕っていたんだと思い知った。



よこひなに「あなたたちがいないと僕は生きていけない、一生面倒を見て」とまで言っていた彼が、大切な『家族』の側を離れて一人で生きていけるまでに大きく強くなっていたこと。

メンバーの歌声や演奏を心から愛し続けた彼が、関ジャニ∞を手放してまで『音楽』に人生を捧げる道を選んだこと。


それはわたしにとって青天の霹靂以外の何でもなかった。



きっと、アイドルが生き地獄のように感じられたはずの彼がそれでもジャニーズを辞めなかった理由は複数ある中で重なり合っていて、妙子さんの「続けることが大事」という言葉然り、それ以外にも多くの要素があったんじゃないかと思う。

でも、最大の理由は、多くのeighterが考えていたように「関ジャニ∞という友達であり幼馴染であり戦友であり家族」という大切な居場所が居心地良かったからだろうと思っていた。今でもそう思っている。


彼にとっての輝かしくて長い青春こそが関ジャニ∞で、それを敢えて手放してまで茨の道を選ぶなんて、とてもじゃないが考えられなかった。

彼の心が美しくて綺麗で、そのぶん繊細で弱いことを、みんな知っていたし理解していた。


けれど、彼は一人の男として成長していて、今を全力で生きていて、いつも前を向いていて。

わたしが好きになった渋谷すばるという男はそんな人間だと充分すぎるほど理解していたのに、彼がいなくなることを考えもしなかったなんて、今考えるとなんだか滑稽だ。


それでも永遠を信じさせてくれた彼はやっぱりスーパーアイドルだったんだなぁなんて思う。


スーパーアイドルの渋谷すばるは、トップアイドルの関ジャニ∞は、

本当にギリギリまでわたしに永遠を夢見させてくれた。



あれ以来、世界から全ての音が消えた。

熱も色も匂いも、確かに存在していた心を震わせるもの全てが脆く儚く砕け散った。


残ったのは燃え滓と、確かに与えられた愛情と、魂に深く刻まれた「自分は渋谷すばるが大好きだ」という事実。



本当に、冗談でも比喩でもなく、あれ以来わたしは抜け殻になった。


日常生活をまともに送れる程度に落ち着くまではただただ時間を要した。


情緒が落ち着いてきて、一見まともに日常生活を送れるようになったかもしれないという段階に至っても、

心はまだずっと痛くて、とめどなく溢れ出てくる喪失感と寂寥感に打ちのめされながら、

心配してくれる友達には元気になった振りでヘラヘラ笑って、どこか気を遣っている様子の家族にはなんともないように振る舞って。考え始めたら悲しくなって泣いてしまうから、自軍のことをほとんど考えないようにして退屈な日常を淡々と過ごした。


わたしの中で彼が占めていた部分はあまりにも大きすぎたから、比例して心の中にできた穴はとてつもなく大きかった。


渋谷すばるの代わりになり得るものなんてこの世に存在しないとわかっていても、どうしても胸にぽっかりできた穴を埋めたくて、

「一人」や「一つ」で埋められないなら山のように積み上げればいいんじゃないかなんて考えもした。

もともと彼に出会う前から好きだったものにどんどん手を出して、好きな人達が催すものに行ってみたり、好きな人のライブに行ったり、本当に色んなことをした。

その最中は、胸の痛みを忘れることができたように思う。好きなものや人で満たされる感覚は衰えていなかったし、とても楽しかった。


それでも毎回、一瞬で現実に引き戻されてしまった。そもそも与えられる熱量が渋谷すばるとは比べ物にならなかった。


あんなにも深く熱くわたしを惹きつけて離さない人は、あんなにも熱狂的なまでにわたしを夢中にさせる人は、この世界で彼以外にはいなかった。他にいないから、唯一無二だから好きになったんだと思い知るばかりだった。

結局わたしの世界が再び色づくことも、音が明瞭に鳴り響くことも、灼熱の温度に燃え上がることもなくて。確かに五感は変わらず機能しているのに、味も匂いもよくわからなくて。

無色透明で無味無臭なつまらない世界をこれから生きていくしかないんだなぁと痛感するばかりで。


何をしても何かに好意を寄せても、満たされることはなくて。


ああ、渋谷すばるという人がいない世界で生きることってこんなにもつまらないんだ、なんてことを思い知った。



劇的に世界が色づいて、私は今生きているんだと強く感じることができたのは、11月19日〜21日、横山担と初めて行った大阪旅行の時。

いつか京セラのオーラスに行こう、なんて二人で夢見た友人と、(わたしだけ)人生で初めて大阪の地を踏んだ。


夢にまで見た大阪は、本当に楽しかった。

関ジャニ∞の軌跡、渋谷すばるの軌跡を覗き見ているようなワクワク感。

eighterを歓迎してくれる関ジャニ∞のホーム。

あたたかくて賑やかな大阪の人達。



関テレに行ったら、4ヶ月ぶりの自担がそこにいて。

ああ、大好きな人の顔を見れるってこんなにも幸福で満たされることだった、なんて凄く久しぶりに自分の心が震えるのを感じた。

ああ、わたしは今ここで生きているんだ!

人生はこんなにも楽しくて素晴らしくて心躍るものだった!って、本当に久しぶりに思った。


たぶん私の世界に色や熱や匂いが戻ってきたのはあの旅行から。

あれから劇的に世界が色づき始めて、心から笑えることも増えた。

寂しいのは変わらないし胸の穴も開いたままだけど、それまでみたいな息がしづらい感じや未来が暗く閉ざされた感覚はなくなって、わたしの中で色んなものがガラリと変わった。


関ジャニ∞の曲を前みたいにワクワクする気持ちで聴けるようになったのは本当に最近。

6人になった関ジャニ∞をテレビで見ても、未だに少しの違和感こそあれ、すごく悲しむこともなくなった。FC会員へのメールを見て泣きそうになることもなくなった。

「ここに」を時たま口遊むようにもなった。



以上が今年7月以降のわたし。

抽象的な表現ばかりだし、自分でもポエミーで寒いとさえ思う言葉選びだけれど、わたしにとって渋谷すばるという一人のスーパーアイドルがテレビやラジオや雑誌といったメディアからその姿を消したことは、本当に凄く大きな出来事だった。


簡単に言い表すことなんてできないから、陳腐な言葉じゃきっと全て伝わらないから、心を砕いて言葉を尽くした結果、抽象的な表現に行き着くんだと思う。

素直な言葉やクサい台詞がとても苦手そうなすばるさんが詞に閉じ込める綺麗な言葉たちも、なんとなくそれと似ている気がする。



普通に言うのは照れくさくても、わたしが文字にしたら平気だったりするように、


渋谷すばるというひとは曲に乗せることで素直になれる人なんだろう。

本当に、たくさん素直な言葉で教えてくれたことがあった。

詞だけじゃなくて歌い方で伝わったこともたくさんあったし、もちろん意思表示や自己開示だけじゃなく、歌うことそのものが彼の生き様だとわかっている。


音の世界が全てで、それが自分の生きる道だと、一切ブレずに主張してきたのを知っている。

誰よりも音を楽しむ才能があると知っている。


だからわたしは、心が癒えて冷静に物事が見れるようになった今、夢見ることができるのだ。


アイドルグループのメインボーカルじゃなく、一人のシンガーとなった渋谷すばるはどんな歌を届けてくれるだろう。

この国に舞い戻った彼はどれだけかっこよくなっているんだろう。


それを見るまでは生きなきゃいけない。

わたしも彼に恥じないくらい全力で、未来に向かって突き進まなきゃいけない。


人生で一番死なないために生きた年。

渋谷すばるという一人の美しいアイドルが“永遠”になった年。

わたしは成人したし、年号は来年変わる。自分にとっても日本にとっても色々な節目になった、この恐ろしく一瞬で過ぎ去った2018年を懸命に生き抜いたことに、自分で自分に花マルをあげたいなと思った。


生き進め


不特定多数の他人に向けて言葉を綴ることは、元来あまり得意じゃないです。


だからこそブログにはこれまで手を出さなかったけれど、あくまで自分の感情の整理のために『誰かに向けたていで言葉にすること』は結構楽になる手法だから、今回筆を取りました。



初めてのブログだし、ただの一ヲタクによる毒にも薬にもならない独白で、それ以上でも以下でもないので合わないと思った方は即座にブラウザバックを推奨します。


私は関ジャニ∞が大好きで渋谷すばるさんが大好きでした。

自分がすばるさんの名付けてくれたeighterであることも、す担であることも誇りに思っていました。


そんなわたしがあの会見以降、自分の中でぐるぐるぐるぐる考えて、考えて考えて。

自担(すばるさんは「自担」って言葉を嫌がるけど、便宜上)が本当にいなくなるんだと理解した頃から、どこか冷静に「eighterを辞めなければ」と思っている私がいました。


形式や名称は何かと便利です。わかりやすくて。

それがなくなるってことは色々な柵から自由になることでもあるけど、自身の立ち位置が不透明になることでもあります。


会見以降、6人のエイトとの向き合い方、付き合い方がわかりませんでした。

渋谷すばるを愛し愛される、彼の大事な友達で家族。


関ジャニ∞を託されたのに、6人のことは変わらず好きなはずなのに、eighterの中に私の居場所はないみたいに思えました。

ただ、こころが置いてけぼりでした。

わたしは数ヶ月、己の感情に囚われることになりました。出口の見えないトンネルを歩いているみたいでした。



7人全員が好きだからeighterだったはずなのに、わたしはすばるさんしか見ていなかったのか?

自担が抜けたからハイさよならなんて薄情にも程がある。あんまりだ。彼らに失礼だ。

でも余力や惰性で応援出来るような人達じゃないし、その方が不誠実だ。やるなら全力で応援したい。



いろんな言葉を自分自身に投げかけました。

自分の半端を許せない難儀な性格なので、自己嫌悪が止まりませんでした。自分と沢山相談しました。



6人の彼らを目の当たりにすることは世界一好きな彼が世界一好きな集団からいなくなったことを目の当たりにすることと同義で、なかなか今の彼らを見るまでに踏み切れませんでした。


でもそのせいで、6人になった彼らを今後も好きでいられるのか、それすらもずっと判断がつかない状態でした。

だって7人の関ジャニ∞に出逢ったわたしにとって、好きになった人達は当たり前に7人だったから。
わたしの最愛の人がそこにいないから。


そういうあれこれを考えると同時に、ぼろぼろのこころに向き合うことも必要で、それを癒すことも必要で。

だって前に進むことは人生において必要不可欠で。


わたしがいくら立ち止まって駄々をこねても、時間は進んでいく。とうにすばるさんも関ジャニ∞も前に向かって歩み始めている。


わたしも前に進みたい。

そのためにはエイトに対する『プラスの感情』が必要でした。

ただ関ジャニ∞から逃げるんじゃ駄目なんです、それだと前に進んだことにはならないから。

そうこうしている間に、GR8ESTオーラスの日がやって来ました。

今回のツアーで初めての参戦。

私にとって最初で最後のGR8ESTで、多分本当に最後になる『eighterのす担として』の参戦でした。


ご縁があって去年もオーラスに入ることができたんですが、すごく幸せな、わたしのこれまでの人生で一番幸せな日でした。

当たり前にすばるさんはそこにいて、笑ってて、純粋に楽しいだけのライブ。7人のライブ。


今年のわたしは、去年とは心持ちが違いました。

例年ライブ前は楽しみで仕方がなかったのに、わくわくが止まらなくて世界がキラキラして見えるあの感覚が、今年はどうしても感じられなかった。


自担がいない初めてのライブ。

もう前に進んでいる6人の関ジャニ∞

6人についていこうと決めたeighter達。


そんな中に、す担として、eighter人生の最後を迎えるため、自分の中で不完全燃焼だったことを消化するため、前に進むため、6人の彼らを受け入れられるのか確かめるため、eighterを続けるか決めるため。

そんな自分勝手な理由達を胸に真っ赤な参戦服に身を包んで会場に行くのは、正直動機が不純だと思ったし会場に向かう道中押し潰されそうでした。もっと純粋な気持ちで彼らに会いたいひとは山ほどいるだろうに。

好奇の目に晒されてもいつもなら高揚感に包まれているわたしのメンタルは鋼だったはずなのに、今年は見た目こそ強気とはいえ(髪に赤色を入れ、手足の爪も服も靴も赤、唇も真っ赤、 極め付けにジャム魂のツアバとかいう服装でした。もはや意地でした)こころは全くの平常心だったので…。本当にいたたまれなかったです地元の駅とか…。


ドームに着いてもどこか冷めていて、全くドキドキしなくて。すごくフラットな気持ちでした。

6人の関ジャニ∞を前に自分が何を思うのか、何も想像がつきませんでした。

そんな私の心臓がやっと狂い始めた(ライブ前の激しい動悸はむしろ正常の証です)のはうっかり当ててしまった自名義の座席が判明した時。



アリーナBブロック。



流石に平静ではいられなくなりました。

応援できるのかとかほざいてましたがわたしはエイト全員大好きなeighterの端くれで、彼らを間近に見ることができることになってドキドキしないわけもありませんでした。というか自名義でアリーナを当てたこと自体初めてだったので困惑八割でした。

アリーナは当時の友人が当ててくれた人生初のエイトのライブ(正真正銘、生まれて初めて経験したライブ)以来でした。


でも同時にそんな皮肉あるかよ〜とも思いました。過去最高の良席を当てたのに世界で一番好きな人はそこにいない。無欲の勝利とはこのことです。


それでも座席についてからは震えが止まりませんでした。

過去参戦したライブでも、件のアリーナでの参戦とコカコーラシートでの参戦の際は震えが止まらなくなった経験があるので、恐らくわたしは良席という超弩級の幸運に身体が耐えられないタイプなんでしょう。


今回当てたのはメンステも花道もびっくりするほど近い四連でした。全部肉眼で捉えられてしまう。野鳥の必要性が無い。心臓が痛かった。

友人3名はお前が当てたんだからと花道側を譲ろうとしてきましたが、みんなは自担に会えるんだから!と押し切ってわたしが花道から一番離れた席に座りました。と言っても計4人なのでそこまで差はない気もします。

せっかく間近で自担を拝めるなら出来ればファンサだって欲しいはずで、友人達が幸せならそれが良いと思いました。

世界で一番好きな人にわたしは会えないから。みんなは心置き無く幸せになってくれ。


そしてライブが始まりました。

それはそれは楽しいライブでした。勿論わたしにとっては楽しいだけじゃなくて、何度か誰も泣いてないのにわけわかんないタイミングで勝手に涙がこぼれたり、それ以外にも流さないように堪えつつ幾度も目頭が熱くなったりしましたが。涙流しちゃっても誰にもバレないように無言で拭ってたので大丈夫です(何が)

ライブ中ずっと(うわ〜〜村上担になりそう…、うわ〜〜丸山担になりそう…、うわ〜〜安田担になりそう…)なんてずっと思ってました。不動の一番がいなくても、変わらずみんなのことは好きなままでした。


しかし本当にわかりませんでした、自分がなんで泣いているのか。

「笑って泣いて最後にまた笑おう」ってオモイダマで歌いますけど、エンターテイメントへのリアクションとして本当に笑って泣いたのは初めての経験でした。

悲しいのか嬉しいのか。ひょっとすると両方かもしれないです。


札幌ではまだ彼の面影があったらしいとちょくちょく見かけたGR8EST、福岡公演ともなるとみんな仕上がっていて、6人でしっかり成立する6人によるライブになっていました。

ヤスも、万全ではなくとも自分の身体との折り合いがついていたり二ヶ月前よりは幾分か具合が良くなっていたり、そういった部分があったのかなと思います。今出来うる限りのパフォーマンスをしてくれたように感じました。

渋谷すばるが彼らの中にいないことが悲しくて、ライブを6人で成立させられるまで頑張りきった関ジャニ∞の底力が嬉しくて、どうにかここまで来れた安田章大に安心して。いろんな理由で、いろんな涙が出たのかもしれないです。

ここまで多種多様な感情をいっぺんに味わわされることはなかなか無いんじゃなかろうか。


あと、思ったよりも赤色が多用されていた気がして嬉しかったです。ぱっと思い出せるところだと、ヤスのギターとかまるちゃんの衣装とかトロッコとか。

意味が込められていても大した理由がなくても良いんです。自分の中で赤色が特別だから嬉しいんです。

ペンラの点滅の中に赤が入っているのもそう。



わたしは彼らが大好きだから、肯定的な感情が沢山湧いたGR8ESTですが、同時に別のことも考えていました。


それは「足りない」という感覚。

人数じゃないです。歌唱力でもない。

勿論歌唱力の面ですばるさんが抜きん出ていたのは事実でしょう。なんたってソロデビューを果たしたメインボーカルですから。


でもわたしがその時に思ったのは人数でも歌唱力でもなく『熱量』でした。


これは否定でも批評でもないです。

悪く受け取られるだろうと予想はつきます。でも違います。6人は全力でした。それはもう熱くてアツいライブでした。全員が精一杯力の限りを尽くして歌っていました。


すばるさんは(ここ数年アイドルを満喫していたけれど)いろんな意味でアイドルらしからぬアイドルでした。

振る舞いも、歌い方も、音楽にかける情熱も。本人が反骨精神の塊みたいな天邪鬼な人だったこともあるでしょう。

でもそれ以上に、歌で、音楽で、生きていきたいと願った人です。それほど音を大事にして愛している人です。


その熱量をライブにも全力で注いでいたのを知っています。

いつだって音の匂いを嗅ぎつけて、音に乗っかって、音になってどこまでも飛べる彼を、わたしは知ってしまっています。


6人全員分の全力を受けてもまだわたしが『足りない』と感じてしまったのは、大きな瞳にギラギラした熱を宿したすばるさんが、自分の中にある力すべてを爆発させて魂を揺さぶる咆哮みたいに吼えていた熱量の、濃厚でぐらぐら沸いて煮え滾るような灼熱のエネルギーの凄まじさを知ってしまっているから。

彼の生歌で空気がビリビリ震える振動をこの身を持って体感してきたから。


これは比べるものじゃないです。

彼が“そう”だっただけで、容易に真似られるものでもないし、きっと6人はそんなことを考えもしないと思います。

6人は6人自身の魅力で勝負していくことが最善だとわかっているだろうし、エネルギー集合体みたいなところが渋谷すばるという男の魅力のひとつだったことも、私なんかよりよっぽどわかっているでしょう。


わたしもそれが分かっているから6人に「彼のようになれ!」なんて的はずれな要求は出来ません。

ただわかったのは、ここまで素晴らしいライブを目の当たりにして、力一杯笑って泣いてこころから満足した上で『足りない』と感じてしまうわたしは、6人の彼らの顧客層からとっくに外れてるんだろうってことでした。


満足した上で自分の立ち位置が理解できたんだから、これ以上ないくらいに『プラス』でしょう?

7人の関ジャニ∞の亡霊になりかけていたわたしは、6人の関ジャニ∞によって浄化されて、燻っていたいろんな感情を昇華されて、残ったのは関ジャニ∞渋谷すばるさんも大好きだって感情だけでした。

義務感からじゃなく、純粋な実感として「終わらせる」ことができたんだから幸せ者だと思います。


寂寥感や喪失感によってずたずたのぼろぼろになっていたわたしのこころは、いつの間にかある程度癒えていました。


だから今後はeighterを名乗りこそしないけど、ファンクラブの更新もしないけど、

わたしは6人の関ジャニ∞もきっとずっと大好きだし、渋谷すばるさんのことが世界で一番大好きなままです。


イフオアは予約してます。ひなちゃんの10年間が詰まった円盤。

わたしがeighterだった頃の村上信五さんが詰まってるんだから、なんの気兼ねもなく買います、関ジャニ∞のオタクとして。純粋に観たいですし。


そして、もう一度6人の関ジャニ∞を好きになったとしたら、その時はまたeighterになりたいと思います。

未来なんて誰にもわからないけど、わたしはすばるさんの“福音”を気長に待ちながら、7人の関ジャニ∞が与えてくれた夢のような日々を胸に、誰でもない“わたし”を生きていこうと思います。

わたしが関ジャニ∞に捧げた数年間は誰にも奪えない大切な財産です。



ありがとう関ジャニ∞!大好き!